存在するということは、変化し続けるということであり、変化するということは、かき混ぜたくなくても、かき混ざってしまう。。。ということにつながる。
100の引き出しに、100種類のネジが入っていて、作業のたびに、これを出し入れしていると、よほど注意しないと、ネジは混ざっていって、時々、混ざったネジの選別が必要になる。(これは、比喩ではあるけど、実際に経験のある人には良くわかる真実だ)
人間の体も、生まれた瞬間から、時間がたつにつれて、外的な損傷や、化学物質の影響や、代謝の過程で欠陥が生じて、その都度、ネジの再選別のように、自動的な修復が行われる。
体の修復機能は、いつまでも続くものではなく、修復機能自体が低下する(だから老いる)。
壊れる(混ざる)のが自然で、これを復元するすることができるのは、生命の関与だけ??の様な気がする。(ネジの整理のように、自分の体の外側に対して復元する。という力と、自分の体自体を復元していくと言う力を、同列に考えてよいのかどうかは判らないけど。。。)
話は変わるけど、昨日思いついた、「かき混ぜる」事に関する不思議な話をもうひとつ
20度の水と40度のお湯を混ぜると、、、30度のお湯になる。。。よね。普通。。。。
しかし、温度の違う2つの物質からは、エネルギーを取り出すことができる。
例えば、廃熱側と爆発(燃焼)側で、温度差がある(つまり、膨張率により体積が違う)気体の挙動を制御して通常のエンジンは動く。
この理屈で言うと、20度の水と40度のお湯を混ぜると、、、液体温度差エンジンさえあれば、、、29度のお湯と、1度ぶんのエネルギーを外部に取り出すことができる!ということになる。(28度のお湯と2度ぶんのエネルギーかもしれない。。。)
エネルギーの収支で言うと、この1度分のエネルギーの(例えば運動エネルギー)を29度のぬるま湯にもどせば、運動エネルギーが熱に変わることで30度に上がるので、何の不思議もない。
で、何が不思議かと言うと、20度の水と40度のお湯を混ぜることで、外部にエネルギーを取り出せる状態と、何事もなく只 とうとうと ぬるま湯が出来上がる状態が 共存?している、ということであり、「ちょっとまてよ。なんか変だぞ。どうなってんだこれは」という疑問のささくれを感じる。
この、不思議さを判りやすく言うと、100トンの10度水と100トンの90度のお湯からは、10トントラックが時速100キロで壁に激突するという、人間が何人もぺっシャンコになるほどのエネルギーを取り出すことができるのに、ただ、これを混ぜると、何の音も、光も、生じず、静かに混じりあうだけ、、、という状況です。